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東京高等裁判所 昭和40年(う)2333号 判決 1966年10月12日

被告人 甲

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役三年に処する。

但し、本裁判確定の日から五年間、右刑の執行を猶予する。

右猶予の期間中、被告人を保護観察に付する。

押収に係る鉈一丁(東京高裁昭和四〇年押第八五三号の一)を没収する。

原審における訴訟費用の全部、ならびに当審における訴訟費用中、鑑定人土井正徳に支給した鑑定料を除くその余の全部は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人福島幸夫、同津田騰三、同神山欣治、同横山唯志、同稲田進五共同作成名義の控訴趣意書ならびに弁護人津田騰三作成の控訴趣意補充書各記載のとおりであり、これに対する検察官の答弁は、検事塚谷悟作成の答弁書記載のとおりであるから、いずれもこれを引用し、右控訴趣意に対し、当裁判所は次のように判断する。

控訴趣意第一点について

所論は、被告人は、本件犯行当時、心神喪失の状態にあつたのに拘らず、原判決がこれを否定し、被告人に正常な刑事責任能力の存在を認めたのは、事実誤認にほかならないと主張する。よつて、所論に鑑み、本件訴訟記録ならびに原裁判所において取調べた各証拠のほか、なお、当審における事実取調の結果をも含めて検討するに、原判決が、医師広瀬貞雄の東京家庭裁判所八王子支部に提出報告した鑑定書の鑑定主文第四項、すなわち、「被告人の本件犯行時の精神状態は、意識過程の覚せい不十分な朦朧状態であり、健常な理性をもつて事態を認識判断することの至難な状態にあつたものと推測される。加うるに、前夜来、蓄積されていた激情が、被告人の暴力行動を著しく強力なものとなし、弟英珠の殺害、さらにそれにひきつづいての行動の逐一を正確に追想できぬほどのものとなしたことは疑いの余地がない。このような意識混濁の状態は、当然、正鵠な判断力を不可能ならしめるものである。」との結論を考慮しても、なお、被告人の司法警察員、検察官に対する供述調書の各記載に顕われた、その各供述の具体性、自然性を覆すに足らず、法律的見地よりすれば本件犯行が、被告人の正常な意思決定にもとづいてなされたものであると認めるのを相当とすると判定していることは、その判旨に徴し明らかである。

ところで、右の広瀬鑑定が、その前記結論に達する重要な理由として、「追想の欠除、或いは追想の断片性、不確実性」ということを、他の「大脳機能の不安定な傾向」などという諸点と合わせて重視していることは、原審における広瀬貞雄の証言自体によつても優に認められるところであるが、右証言の全体ならびに前記鑑定書の内容を仔細に吟味すると、本件犯行当時ならびにその前後にわたる自己の一連の行動について被告人に追想の欠損があるというその判断の根拠となるべき事実関係の把握のしかたにつき証拠判断上必ずしも十分納得しがたいふしがあるように思われる。すなわち、同鑑定人は、右の結論を引き出す過程において、被告人に対する問診の内容を基盤としつつ、その陳述に虚言や作為の跡が認められないと判定しているが、反面、その裏付けとして、被告人の司法警察員および検察官に対する各供述調書の供述内容との対比険討が十分でないように思われるし、また、同鑑定人が、その鑑定書中において、「情動性寝ぼけという朦朧状態における行為の人格的異質性」を指摘するとともに、被告人の資質特性として、「生来、意思薄弱、自己顕示といつた異常な性格傾向を有する精神病質人であり、知能は平均水準以上であるが、社会的適応能力に乏しく、精神内界は貧困で視野が狭く、依存的傾向が強い。関心とか興味の範囲も狭く、軽薄、わがまま、自己中心的で自制力に乏しく、劣等感の過代償としての顕示性が強く、劣等感と顕示性との不均衡から逃避的傾向を示す反面、常に、不安、攻撃的傾向が内在し、欲求が満たされないと短絡反応を起すといつた、幼稚な小児的未熟な人格像を示し、社会的には持久性に乏しく軽佻である。」とも論じているが、本件犯行当時およびその前後にわたる被告人の一連の行動における右両者のからみ合いについてのいつそう立ち入つた精神医学的な検討ないし解明が、十分な記録上の資料をも参酌することによつて行われるべきであつたと考える。

原判決が右の広瀬鑑定の結果に全幅の信頼を措きがたいとして、その前記結論を採用しなかつたことは、必ずしも不当なものとは考えられない。

所論は、ひとつの科学的鑑定を排斥するには、これを排斥するに足る他の科学的鑑定をもつてすべきであると主張するけれども、いうまでもなく、刑事責任能力の有無に関する判断は法律的判断であつて、これをしも精神医学についての鑑定人に委ねてしまうことは許されず、裁判所は、法的評価の前提たるべき精神医学的所診の所与を尊重しつつ、しかも、なお、記録上顕われた諸般の関係各証拠をも参酌しながら、刑事責任能力の有無に関する法的評価を行うべきものであつて、鑑定人と裁判所との職責は、この意味において截然と分れているのである。したがつて、本件につき、原審としては必ずしも所論のような再鑑定の措置を講じなければならないとする理由はない。

もとより、鑑定の結果に対する裁判所の法的評価が恣意的に自由であつてよいというわけのものではない。裁判所は、経験則ないし専門的智識の補充者としての専門家による鑑定の結果を真摯に考慮すべきであるとともに、もし、これに従いえない場合には、そのしかるべき相当な理由を判示説明することになるであろう。

原判決は、前叙のとおり、広瀬鑑定の結果を採用しえない理由として、その鑑定の基礎資料に妥当性を欠くと思われる点のあることを挙示するとともに、被告人の司法警察員および検察官に対する各供述調書に顕われた供述に具体性ないし自然性の認められる点を指摘しているのである。

所論は、被告人の右各供述調書は、重要な点において矛盾を含み、また、必ずしも被告人が逐一記憶にもとづく追想により供述したものとも考えられないと主張するけれども、原判決挙示の各証拠を仔細に吟味すれば、右各供述調書が各捜査官の慎重な配慮のもとに、被告人の心身の状況に多大の注意をはらいながら、心理的圧迫をできるだけ避けつつ進められた捜査の進展に応じ、順次作成されていつた経過が明らかであつて、現に、証拠物のうち、被告人方の裏手にあたる多和田、入江両家の共同井戸の内部から発見されたズツク靴一足、軍手一双、靴下一足、白パンツ一枚、目覚し時計一個については、昭和三九年七月二一日の午前九時一五分頃、被告人が「自動車に乗つて窓から外を見れば、何か思い出すかもしれない。」等と、謎めいた供述をするとともに、その後まもなく、勾留質問のための押送車の車内において、これら各物件の投棄場所を、付添いの小橋巡査部長に供述したので、小橋部長からの連絡をうけた係官が、同日午前一一時半頃から午後三時頃までの間に亘つてそれと思われる場所を捜索した結果、相次いでこれらを発見するに至つた経緯であることは証拠上これを否定することができないし、また、本件犯行当時およびその前後における被告人の言動にかかわりのある、他の関係各証拠や、前記のような捜査の慎重な進展経過からみても、被告人の前記各供述調書が、被告人の記憶にもとづく追想による任意の供述を録取したものであることは、優にこれを看取することができ、検査官が、ことさらに、あたかも被告人自身に本件犯行の前後にわたる経緯につき追想があるかのごとく、その供述を作為録取したものとは認めがたく、また、所論指摘の、被告人の昭和三九年七月一八日付、二二日付各司法警察員面前調書ならびに同年七月二〇日付検察官面前調書中に、殺意発現の経緯およびその時点について多少相異なつた供述記載のあることは所論のとおりであるが、緊迫した際における殺意発現の経緯ないし時点についての微妙な心情の波紋を追想表現するにあたり、そこに若干供述上のずれが認められるからといつて、それだけで右供述部分を含む供述調書全体、ひいては、被告人の捜査官に対する全供述調書の信憑性が失われなければならない理由はなく、また、ある供述調書に「被害者の苦悶の姿を目撃し、ひと思いに息を引きとらせる意図のもとに云々……」という記載があり、他の供述調書中には、右場面の供述として「夢中で一〇数回」というようになつているからといつて、これまた、当該供述調書全部ないしこれを含む全供述調書がその信憑性を欠くに至るものとは考えられず、要するに、本件において、被告人の捜査官に対する各供述調書の信憑性を否定しなければならないような事情は、何ら看取されない。その他、当審において取調べた、被告人に関する東京家庭裁判所八王子支部の審判調書三通、東京少年鑑別所から取寄せた少年簿の各記載、ならびに右鑑別所技官である萱場徳子の証言、鑑定人土井正徳作成の鑑定書、同鑑定人の証言等を総合してつぶさに検討しても、被告人に所論のような特段の追想障碍があるものとは認められず、また、右を含む関係各証拠、とくに前記広瀬鑑定書も指摘しているような被告人の人格特性からみて、本件犯行の動機、態様等の点において、その間、いわゆる情動性寝ぼけの朦朧状態における人格的異質性の存在するものとも考えられないところであつて、原判決が、前叙のとおり、被告人の司法警察員、検察官に対する各供述調書の供述内容の具体性、供述経過の自然性およびこれによつて明らかにされるところの一連の犯行隠蔽偽装工作等の目的的、作為的な被告人の行動を理拠とするとともに、前述のような広瀬鑑定の立論の前提に対する疑問の存在等をも考慮のうえ、結局、原審弁護人らの心神喪失の主張を採用しなかつたことは、別段、それ自体において誤りがあるものとは思われない。

しかし、ここで、本件犯行当時における被告人の心神の状態について、更に立ち入つて考えてみることとする。まず少年調査記録中の鑑別結果通知書によれば、被告人の人格特性として、「知能は良域に属するものの、衝動性が強く、思考や感情に対する自己統制力が乏しく、軽佻で無責任な言動に出易いこと、自己中心性や自己顕示性があり、自我が侵害されそうなおそれを感ずる場面では逃避し勝ちであるが、自己の統制の及びうる場面では過度に攻撃的になり、周囲を軽蔑することで徒らに自分を高めようとする傾向があること、独善的な傾向とも結び付いて気分易変性が強く、些細なことでいらいらして心理的な視野狭窄におちいり易いこと、内向的で劣等感に悩まされ易いこと、劣等感の代償として、又は劣等感からの逃避として、特定の物ごとに凝つたり、特定の観念を持ちつづけるという粘着性が強いこと。」等の諸点が指摘されており、「同年輩の集団での積極的な適応性に乏しく、低年令層の中に君臨して優越感を味い、自我の安定をはかるといつな逃避的態度の中に人格発達の未熟さが見られる。」とされ、「これらは、被告人の生育した家庭環境に規制され、その後も家庭内における両親との接触の稀薄から、いわゆる一流校の過程から落伍し始めた挫折感を解消する由もなく、親の期待から逃避して低年令層の少年集団に君臨することによつて僅かに自我の安定を保つていたが、それさえも、年令的にも肉体的にも成長してきた弟によつて破壊されそうになり、自我の安定が失われ始めていた。かかる精神面の安定を欠いた状況のもとで、些細なことをきつかけとして、それまで内につもつていた弟への敵意を一挙に爆発させたものであり、更に精神病質者としての主体性が、本件のような爆発的、衝動的な短絡反応を容易ならしめたものである。」との所見がのべられているし、また、前記当審証人萱場徳子によつても、被告人にヒステリー機制、すなわち、自分にとつて耐えがたい不愉快な想い出は、少しでも自分に耐え易い形に変えて行きたいという無意識的な心理的機能の存在することが指摘されている。更に、当審鑑定人士井正徳の鑑定書によれば、被告人の性格特性として、「知能はすぐれているが、批判性の欠如、独尊的自己中心性が著しく、他からの批判および自己批判の意識的又は無意識的無視の傾向が強くまた強度の刺戟性があるとともに、攻撃性も強く、自己不確実感や自信欠如感が内在して心理的安定を欠き、情緒の発動、気分の変化が軽易で、気分は明朗であると同時に容易に不快に陥り、不快情緒の貯留固執があり、これを外部の対象に向け、著しく外罰的攻撃的情緒として放出することにより自己を防衛する傾向があつて、総じて幼児性心理の特徴を呈するとともに、これがその心理機能一般および行動全般を支配している。」、そして、「これらはヒステリー性格の類型に該当し、精神医学的には精神病質者人格に該当する。」と指摘したうえ、更に、本件犯行の外形的な系統的目的的行動性とともに、物盗りの犯行に見せかけた作為性があるが、同時に、隣室に寝ていた自分自身に容易に犯罪の嫌疑がかけられることを考え落した幼稚性があることや、三人組の強盗に襲われて抵抗できなかつた云々という空想的作話による現実回避の態度の中に幼児的作為が認められること、担当捜査官をいわれなく非難することによつて自己を防衛しようという幼児性外罰傾向や、被告人に向けられた合理的な批判は拒否される傾向のあること、ことさらにする回想否認の傾向があること、その他の特性を詳細に検討の結果、「本件犯行当時、被告人は現在と同様のヒステリー性精神病質者であり、本件犯行は、その精神病質にもとづく幼児性の蓍しい外罰、熱中没頭性、残虐性等の性格特性と、被害者英珠にかかわる不快感情の貯留蓄積に加えて、ヒステリー感動発作によつて惹起されたものであると認められる。その当時の被告人の精神状態は、是非善悪の弁識判断の機能はいわゆる普通の範疇に属するものと認められるとともに、その弁識判断にもとづいて自己の行動を抑制決定する機能はいわゆる普通の状態より著しく劣るものに該当すると認められる。」と結んでいる。

本件全記録ならびに取調べられた各証拠をあらためて仔細に吟味するとともに、被告人の生育歴、生育環境、そして、本件犯行に至るまでの迂余曲折、犯行の動機およびほとんど不必要とまで思われるほどの残虐な犯行の態様、また、犯行後における被告人の一連の言動等をつぶさに勘案すれば、前記鑑別結果通知書や土井鑑定人らも指摘するように、本件犯行がいわゆる情動性寝ぼけ中の行為であるとまではいえないにしても、前叙のような被告人の性格偏倚ないし人格特性を根本基盤として、漸次貯留蓄積された不快感情が、通常ならばなんとか看過できるような些細なことがらを契機として、爆発的、短絡的に激烈な感情発作として放出され、本件犯行を惹起するに至つたものであることを十分理解することができるのである。すなわち、本件犯行当時、被告人は、ヒステリー性精神病質者としての人格特性のため、その激烈な不快感情の爆発的短絡反応による衝動的発作を抑制する意思の力が著しく減弱した状態にあり、刑法上、心神耗弱の状態にあつたものとみるのが相当である。

したがつて、原判決が、本件犯行当時、被告人が心神喪失の状態にあつたものでないと判断したことは相当であるが、本件を被告人の正常な意思決定にもとづく犯行であると認定したことは、責任能力に関する事実を誤認したものといわなければならないから、この点において原判決は破棄を免れず、論旨は、この意味において理由あるに帰する。

よつて量刑不当の論旨に対する判断を省略し、刑事訴訟法第三九七条にもとづいて原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書にしたがつて当審で自判することとする。

(罪となるべき事実)

被告人は、当時の東京都渋谷区穏田一丁目一番地の青山アパートにおいて、父秀叡、母チエ子の長男として生れ、私立和光学園小学部に入学したが、将来の進学を考慮した両親の意図により、昭和三一年春から番町小学校、麹町中学校と進学したが、当時の学習成績は普通程度であつた。しかし、当時父は大学教授、母は検事であり、いずれも多忙な職務に従事していた関係などもあつて、被告人は、小学校高学年に進む頃から父母との接触の機会が薄らぎ、漸次、親子としての愛情面の不満を抱くようになり、ことに、中学校入学以後は、両親の努力にもかかわらず、家庭内での内面的接触がとかく乏しくなりがちであつたため、孤独感の代償を動物の飼育、解剖、昆虫採集や少年野球などに求めるとともに、次第に内向的、自己中心的な性格が形成されていつた。

その後、昭和三六年四月、慶応義塾大学附属志木高校に入学したものの、その後、成績もあまり思わしくないし、それに、前記のとおり、動物の研究に興味をもつていた関係もあつて、昭和三九年三月麻布獣医大学の入学試験を受けてこれに合格したが、両親の反対に遭つて同大学への進学を断念し、慶応義塾大学への進学のため、なお一年間前記志木高校に留まることとなつて、通学を続けていた。ところが、いわゆる一流有名校の進学コースをとらせようとした両親の期待に反し、被告人は、中学から高校にかけてあまり学業に励まず、いきおい学習成績も低下し、次第に友人から落伍し始めるとともに、年長者や同級生との交際範囲も狭まり、主として年少者と共に野球チームのグループなどを作り、その集団内で指導的役割を占めて君臨し、その少年達の中にあつて僅かに孤独感や劣等感から逃避し、これにより僅かに自らを慰めてその精神的均衡を保つていた。両親は、成績低下の原因は、ひとえに、当時、被告人の熱中していた野球のためであると考え、これを放棄させることによつて学業成績の向上回復をはかろうとしたけれども、被告人は、却つていよいよ少年野球チームに異常な興味と熱意とを示し、昭和三七年四月頃から近隣の少年達を集めて三鷹フライヤーズ(後に慶応フライヤーズ)なる少年野球チームを結成して、自らそのチームの監督となり、後には、同じく志木高校に入学した次第英珠(昭和二二年八月一一日生)をも同チームのメンバーに加え、殆んど連日のごとく下校後近所の広場などに出かけて野球の練習などに熱中する一方、昭和三六年頃からは、父母らの起居する母屋から約二〇メートル離れた同家邸内南西方にある離れ家に右英珠とともに起居し、自らは同離れの中央部四帖の間に、右英珠はその南側隣室の八帖間に夫々自室を構え、野球チームのメンバーが常時出入りしてはその集合場所になることが多くなつていた。

ところが、その頃、被告人との年令差のすくない弟英珠が、肉体的にも精神的にも急速に成長し、兄たる被告人に劣らず自我を主張する性格が強くなってきたばかりでなく、その外向的で積極的な性格から野球チーム内において次第に入気を集めるようになり、遂に昭和三九年四月下旬頃、被告人とチームの指導のあり方について意見を異にするということで、同チームの主力メンバー一〇余名をひきつれて脱退し、新に野崎ユニオンズなる野球チームを結成し、自らその監督としてひたすら野球に熱中し、学業を顧みなかつたので、これを不快視した被告人は、母チヱ子とも相談のうえ、英珠を説得して野球遊びから手をひかせようと努めてはみなものの、当時いわゆる反抗期にあつた英珠は、頑としてこれに応じないばかりか却つて強く反撥し、ささいな事ごとに両親ら家族に対して反抗的な態度を誇示し、被告人に向つても「貴様」とか「おまえなんか兄貴と思わない。」などというような暴言を吐き、或いは被告人をその友人の面前で殴打して負傷させる等の暴力をふるい、そのうえ、平素孤独感につきまとわれている被告人が日常生活のうちでわずかに愛情ないし依存の対象としていた母チヱ子に対してすら茶碗を投げつけたり、その他の腕力沙汰に及ぶ等、次第にわがまま粗暴な振舞いが蒿じてきているのに、両親、とくに母チヱ子は、反抗期にある英珠に対する配慮の念もあつてか敢て深くこれをとがめず、むしろその非をかばうような言動を示しがちであつたところから、これを見聞した被告人としては、その家庭生活や野球チーム内、その他の生活場面において、ともすれば自己の地位が弟英珠によつて著しく脅威、圧迫をうけるような気持を感じ、堪え得られない焦燥感に駆られて次第に同人の言動に対する強い不満の念が胸底に鬱積してゆき、とかく同人との間に諸事円満を欠いていた折柄、たまたま昭和三九年七月一三日夕刻、英珠が、自宅に来合わせていた自己の家庭教師に母チヱ子から中元の贈答品が贈られなかつたことに気嫌を損じ、母から恥をかかされたとして同女にいいがかりをつけたうえ、母の面前でそのハンドバツグから財布や印鑑を奪い取つて同女を困らせ、また、同人の態度を見かねた被告人がこれに注意しても一顧をも与えようとしなかつたところから、被告人は、英珠のわがまま粗暴な態度に対し強い忿懣の情を抱くに至つていたところ、翌一四日午後八時頃、友人らと共に近所の「日乃出湯」に入浴に赴いた際、顔なじみの同浴場の手伝人である三村よし子から、前夜入浴に来た英珠が、同夜の家庭教師に対する中元贈答品についての前記いざこざの件に関し、「母から恥をかかされた。今日は家に帰らない。」等と言つて憤慨していたことを聞かされるに及び、英珠が家庭内の恥を見さかいもなく外部にまでさらすものとして、同人のやりかたに痛く憤慨し、英珠にこのようなことをさせておいては一家の平和も損われるであろうし、さりとて同人を学校の寮に入れてしまうということも見込みうすであるなど、あれこれその処置につき思い悩みながら同夜はそのまま帰宅し、しばらくテレビなどを見てから前記離れの自室に戻り、ベッドに横臥しながらひとりラジオの放送に聞き入つていたところ、同日午後一〇時四〇分頃、英珠が当時上京中の親戚の増田博を伴つて隣室に戻り、アルバムなどを開きながら野球の話に熱中している会話を洩れ聞き、弟英珠が野球から遠ざかるどころか却つてますますこれに熱中して行く気配を察し、心中ひそかに苦々しく思つたりしているうち、いつのまにかうとうとと寝込んでしまたが、翌一五日午前一時半頃ふと目を覚してベツトの上に起き上り、前夜の隣室での増田と英珠との会話からも察知された、同人の相変らず野球にばかり熱中して他を顧みない態度や、また、同夜の前記「日乃出湯」の一件、更には英珠のこれまでのわがまま粗暴な振舞の数々を想い浮べているうち、同人に対する不満憤激の念一時に昂じて押さえ難く、この際、門上一家のためにもいつそのことひと思いに英珠を亡きものにするほか他に途はないものとまで一途に思いつめるに至り、ついに、にわかに同人を殺害しようと企て、同日午前一時五〇分頃、ひそかに同所から北方約三〇メートル離れた物置に赴き、同物置から鞘に納められた登山用の鉈一丁(東京高裁昭和四〇年押第八五三号の一)を取り出すとともに、現場に足跡を残して外部からの侵入者による犯行のごとく偽装するために使用する目的で、同所に有り合わせたズック靴一足(同号の一五)をも持ち出し、これを携えて前記自室に立ち戻り、やがて、同日午前二時頃、白パンツ(同号の五)に手近のスポーツシヤツ(同号の一四)を着け、軍手(同号の六)をはめ、鞘から取り出した前記登山用の鉈および前記ズツク靴を手に携えて英珠の室に立ち入り、同所でズツク靴を履いたうえ、同室中央部の電灯をつけ、同室中央付近に敷かれた布団の上に横向きとなつて熟睡中の英珠の傍らに中腰となり、右手に持つた前記鉈をふり上げ、その刃部で同人の頭部に強力な一撃を加え、同人の苦悶する姿を目撃するや、心気いよいよ昂ぶり、前後の見さかいもなく更に続いて一〇数回に亘り同人の頭部、顔面等を乱打し、よつて、同人をして即時同所で、右のごとき頭部、顔面部の打撲による脳損傷ならびに蜘蛛膜下腔出血及び脳挫傷により死亡するに至らしめ、殺害の目的をとげたものであつて、なお、被告人は、右犯行当時ヒステリー性精神病質者としての性格特性のため、激烈な不快感情の爆発的、短絡反応の衝動的発作を抑制統御する意思の力が著しく減弱した状態にあり、心神耗弱の状態にあつたものである。

(証拠の標目)<省略>

(法令の適用)

法律に照らすに、被告人の判示所為は刑法第一九九条に該当するので、犯情に照らし、所定刑中有期懲役刑を選択して処断すべきところ、心神耗弱者の所為であるから同法第三九条第二項、第六八条第三号により法律上の減軽をした刑期の範囲内で量刑することとなるが、ここで本件被告人の具体的処遇について考えてみる。

本件は、大学教授を父とし、東京地方検察庁検事(当時)を母とする、相当の社会的地位ならびに教養のある家庭内において、当時、慶応義塾大学附属志木高校の三年生であつた被告人が、同じく右志木高校の二年生であつた自己の実弟を、鉈をもつて滅多打ちにして殺害してしまつたというのであるから、たとえ、それがヒステリー性精神病質者としての性格特性にもとづくうつ積された不快感情の爆発的発作による犯行であるにせよ、まことに人の目を蔽わしめるような、悲惨かつ重大な事犯であることにまちがいはない。被害者の父母となると同時に、また、加害者の父母ともなつた両親の心情は、察するに余りあるものといわなければならないが、しかし、いうまでもなく、同一家庭内における紛争により惹起された事件であるからといつて、一人の年若い人間が殺害され、その貴重な前途ある生命が永遠に失われたという、その事柄の重大性を看過することは許されない。

そして、かかる重大、悲惨な結果を見るについては、その原因として、被告人自身がその生育過程において置かれた家庭的、社会的ないし性格的な諸条件に規制された一面が考えられることはいうまでもないとしても、また、もとより、被告人自身としても社会の一員、家族の一人、そしてまた、一個の人間として、真剣に反省しなければならない面の多々あつたことも否めないところである。

看点のいかんによつては、本件は、経済的にも社会的にも何不自由のない家庭に両親の慈愛を受けて生育し、順調なコースを経て相当名の知れている高等学校にまで進んでいた被告人が、結局は兄の座を危からしめようとする弟を邪魔者として排除したという、余りにも自己中心的な動機から敢行された犯行であるとして厳しくこれを非難すべきであり、更に、犯行隠蔽のための一連の偽装工作をこころみたり、また、審理の過程においても、少なくとも表面的には無責任とも見られるような回想否認の供述をするのみで、亡き弟の跡を偲び自己の非行を深く悔悟しているとみられるような心情の積極的な表白が認められないとして、酌量の余地はないものとする見方も成り立ちうるように思われる。

しかし、飜つて考えると、すでに見たように、被告人は、自己中心性、自己顕示性、衝動性、気分易変性、内向性、或いは外罰性など幼児的な性格偏倚を特性とするヒステリー性精神病質者なのであつて、かかる未熟な人格特性は、その多くを、両親の身近かな統制力の比較的弱い家庭の中で育ち、半ば無規制的に自我を拡大させるとともに、その反面、社会的、外部的な圧力からは逃避的になつて孤独状態に陥るという傾向を馴致しながら成長したその生育歴に負うものと見られることは、鑑別結果通知書を始めとする関係各証拠上、これを否定できないようである。

本件犯行の動機についても、すでに犯罪事実として判示したところであるが、被告人が次第に両親の期待する進学課程から落伍し始めしかも、それの因つて来る根因を最も身近かな両親からも理解されず、また、なんらの調整の措置を受けえられなかつたこと等による挫折感、劣等感を、家庭内で適当に是正ないし解消する機会に恵まれず、野球その他に、劣等感からの逃避場所を求め、これにより僅かに自らを慰め、その精神的安定を保つていたそのいわばかりそめの安住の地さえもようやく反抗期に入つた弟英珠の粗暴で外向的な性格のために危うくされ始めてきたのに、両親、ことに被告人にとつては愛情ないし依存の対象としてかけ替えのない母親さえ、被告人の内心の心理的葛藤と苦悩とを理解してくれないものと思われてくるにしたがい、次第に弟英珠に対する敵意ないし憎悪ともいうべき不快感情が貯留され、うつ積されて精神の未成熟な少年の性格をいよいよ内向的なものにしていつたその過程は、決して了解できないものではない。被告人の自我意識の安定を破ろうとする者が、もし肉親の弟でなかつたならば、これと一切の交渉を絶つことにより、比較的容易に心理的葛藤から逃避し、また、新たな安住の場を見出だすこともできたであろうが、不幸にしてその相手が居を共にする肉親の弟であるだけに、思慮の乏しい、前述のような非社会適応的性格特性の持主である被告人としては、常に焦燥と不満の念にさいなまれるほか他に求めうべき途もなかつたものと思われる。

もとより、かく言えばとて、被告人が自らの愛情と依存の対象としていた母親にさえなんら自己の悩みを打ち明け、身のふりかたを相談しようともしないで、いきなり本件のような取り返しのつかない犯行をしでかし、しかも比較的幼稚なやりかたではあるが、ともかく、自己の犯跡を隠蔽糊塗しようとしたという、その責任を徒らに他に転嫁しようとするものではない。

被告人の両親は、当時、いずれも家庭外の活動に多忙であつたようであるが、しかし、それだからといつてその子弟の監護教育をおろそかにしたなどということはない。いな、むしろ、できる限りの努力を尽していたことは疑を容れる余地がない。ただ、事後的観察の立場からいえば、当時、門上家においては、両親と子弟、とくに被告人との内面的接触の機会が比較的稀薄であり、そのため、被告人が愛情面で若干の不満を抱いていたことや、その資質的特性の形成されてゆく過程に対する把握が稍々浅かつたのではないかと考えられるふしがあることは否めないようである。被告人は高校に進む頃から、両親の進学期待をいささか重荷に感じ始めていたようであるが、もし、この段階において早期に被告人の心理的葛藤が両親との話合いによる内面的接触等何らかの方法によつて、社会適応的な方向へ解消されえたならば、本件犯行は或いは避けられたかもしれないと惜しまれるのである。

ともあれ、被告人は弟英珠を殺害してしまつたのであり、そして事そこに至るまでの経緯ならびに犯行の動機および態様等は先に認定したとおりである。ここにおいて、本件につき、被告人をあくまで実刑をもつて処断しなければ、その刑責にこたえる所以でもなく、また一般の法感情を納得させる方途でもないと見るべきか否かは見解の岐れるところであろう。

おもうに、被告人は、すでにしばしば言及しているように、未成熟なヒステリー性精神病質者であつて、本件事犯は、そのヒステリー性精神病質者としての性格特性のため激烈な不快感情の爆発的・短絡反応の衝動的発作を抑制する意思力の著しく減弱していた被告人が、その心神耗弱の状態において、深夜寝覚めの際、全く突発的に決意し、そうそうの間に敢行されてしまつたものであつて、典型的な偶発犯であり、また、激情犯である。その態様の異常なほど残虐であることも、深く掘り下げて考えれば、犯行当時における被告人の衝動がいかに病的に激烈なものであつたかをものがたるものであろう(前記広瀬鑑定は、被告人の右の行為を情動性寝ぼけという朦朧状態におけるものであるといつている。当裁判所が同鑑定の結果を採用し得ないことは先にも述べたとおりであるが、それはそれとして、同鑑定人が右のような診断を下すほどその衝動は激烈をきわめ、甚しく常軌を逸していたものであることが肯けるのである。)。発作が静まつたと思われる右犯行後における被告人の行動をもつてたやすく犯行当時における被告人の心意を推測することは妥当でないと考える。なるほど、被告人は、公判段階においては犯行時についての記憶の喪失を訴えているが、先にも指摘したとおり、被告人にはヒステリー機制、すなわち、自己にとつて耐えがたい不愉快な想い出は少しでも自分に耐え易い形に変えていきたいという無意識的な心理的機能すなわち、ことさらにする回想否認の傾向が潜在していることを思えば、この一事を捉えて直ちに、被告人には被害者たる弟英珠の死についての憐情はもち論、自己の所業に対する反省悔悟の心情の一端すら窺い知ることができないとまで断ずることは、いささか躊躇せざるを得ないのである。現に、被告人の当審公判廷における供述をみても、被告人は、被告人なりに、自責の念を表明しようと努めていることが看取できるのである。被告人は、すでに、公開の法廷においてきびしくその責任を指弾追及されてきているのであつて、その罪の意識は内心骨身に徹しているものと思われる。そして、他方、高い教養と相当の社会的地位とを有し、地域社会の尊敬をも受けていたと思われるその両親らは、本件のため、一転して、あらわな社会的批判の下にさらされ、被害者の両親として、また、加害者の父母として同時に二子を失つたにもひとしい悲嘆の境地に身を置きながらも、今後は、せめて、幸いにも残された被告人の更生を目ざして真摯な努力を傾けており、その家庭内の環境の改善に意を尽しつつあることが認められる。被告人の性格の矯正は、容易とはいえないにしても決して不可能ではなく、いわゆる可塑性のあることは鑑別結果通知書や土井鑑定書がこれを指摘している。本件が、単に門上一家内の私事ではなく、殺人事件として一般社会に深刻な影響と広大な波紋とを及ぼした重大な事案であることを忘れてはならないことはいうまでもないが、以上縷述の諸点をあれこれ総合して勘案すれば、この際前記のような特異の精神病質者である被告人に比較的短期間の実刑を科してその社会的復帰を困難ならしめ、却つて将来に禍根を貽すよりは、むしろ、被告人の今後をその両親と理解ある援護者の手に委ね、適切な医療と確実な更生との機会を与えることが、亡き英珠の霊を厚く慰める所以であるとともに、また、二度と再び繰り返えさせてはならない本件の悲劇を家庭生活の中に生かすことによつて将来の転機に資そうとする両親らの心情にも沿う方途であると思われる。情に流れて寛に失する処遇はもとより厳にこれを戒めなければならないが、理に奔つて却つて刑政上事案の妥当な処理を逸することがあつてはならないと考える。当裁判所は、叙上のごとき看点のもとに、前述の刑期の範囲内において被告人を懲役三年に処し、刑法第二五条第一項により本裁判確定の日から五年間右刑の執行を猶予することとし、なお、保護観察官の専門的指導によりその社会適応を助長し、その実を挙げしめるようその方途を講ずるのが適切であると認め、同法第二五条の二第一項前段を適用して、右猶予の期間中、被告人を保護観察に付し、原審および当審における訴訟費用の負担につき刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 樋口勝 関重夫 金末和雄)

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